新スタッフなみなの熱い自己紹介(理学療法士/相談支援員-身体ケア/モンテぷらす担当)

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理学療法士、相談支援専門員の2つの資格を持ち、長年療育の現場で子供達のリハビリと相談員の仕事をしてきました。

はじめまして。

平成31年4月1日(新年号発表の日)こどもやスタッフとして入職しました。
発達ケアとモンテぷらす(月、金曜日)を担当します。

”なみな”です^^

 

略歴

國場 なみな

沖縄県、沖縄市出身。
・琉球リハビリテーション学院(理学療法学科)
・介護老人保険施設 陽光館(理学療法士)
・社会福祉法人   中部療育医療センター(理学療法士、相談員)
・南部療育医療センター(相談員)
・社団法人  中部地区医師会訪問看護ステーション(理学療法士)
・株式会社 FUFUYA こどもや(発達ケア)

現在、芭蕉布職人になるための修行中

 

“こども”がいつの時もキーワード

子どもの頃の夢は、看護師さん、保育士さん、養護教諭、養護学校の先生(現在の特別支援教諭)でした。

このプロフィールを書くにあたり、思い起こしてみると、
幼いことから病院によく入院していたので、
優しい看護師さんに憧れていたんだと思います。

また、両親が共働きでしたので、0歳から保育園に通っていました。

私が通っていた保育園では障がい児保育の受け入れをしているところでした。

親戚にも聾唖(ろうあ)の従姉妹がい他ので、障がいのある子と関わることはごく自然で、よく一緒に遊んでいました。

ただ、ただ、子どもと遊ぶことが好きだったのかもしれません。

高校生の頃に福祉施設へのボランティアへ参加した時に、歩く練習をしている子どもと、その親御さんが笑顔になれる瞬間を見た時の感動を今でも覚えています。

進路を考える時に
学校の先生や義理の姉(保育士、介護福祉士、ケアマネージャー)に相談をしました。

その時から
「子ども、医療、教育」
ができそうな職種として、
「理学療法士」かなってことで、目指すことになりました。

しかし、勉強は苦手だし、部活をずっとしていたので、専門学校に入るのもギリギリ。

専門学校に入ってからは友人や先生たちに恵まれました。

これまでしてこなかった学習の習慣や人の身体や心、病気や治療について学び、リハ職としての素質、人間性を磨くなど本当に大変の連続でした。

だけども、知れば知るほど面白い。
もっと知りたい。

そうした楽しいものばかりで、国家資格を無事に取得することができました。

余談ですが、リハビリテーション概論という授業で
「あなたが考える理学療法士とは。」みたいなのが課題がありました。

私は…

「障がいがあっても、手足が不自由でも他の子と同じように保育園や学校で当たり前に過ごすことができるような世の中になってほしい。わたしはその子たちのお手伝い(リハビリテーション)ができる理学療法士になりたい。」

となぜか、泣きながら発表したのを覚えています。

同級生や先生は少しびっくりしていましたが、心から本当にそうしたい。
でも今の自分じゃできない。
という感情が湧き上がったんだと思います。

約17年前くらいの話です。

最近では障がい児の保育、幼稚園受け入れや特別支援、インクルーシブ教育(詳しくはまたの機会に書きます)と言われるようになってきました。

「障がいのある子もない子も。」と言われつつも保育、幼稚園、教育現場で実際の受け入れについては、保育園や保育士不足もあり、まだまだまだまだ課題は山積です。

話がだいぶずれましたが、上記の内容はとてもここでは書ききれないので、またの機会に。私の自己紹介へ。

 

ご縁があって、理学療法士として療育の現場に

専門学校卒業後、奨学金をもらっていた高齢者の施設へ入職しました。

ベテランの理学療法士が厳しくも愛情ある上司で、
高齢者の評価方法や在宅生活を送るために必要なことを徹底的に教えてもらいました。

奨学金返済はまだ終わっていなかったのですが・・・
小児の理学療法がどうしてもやりたい‼︎

そんな強い想いとご縁のタイミングに恵まれ、
ボランティアで行った施設に入職できる機会をいただきました。

各専門職と一緒に子どもたち、家族と関わらせていただくけることになったんです!

医師、看護師、リハビリスタッフ(理学療法士、作業療法士、言語聴覚士)保育士、指導員、介護福祉士、栄養士、臨床心理士、社会福祉士。

たくさんのスタッフと共に、
療育をしていくため、総合的に専門的に行っていく施設でした。

 

療育での理学療法士としての役割

私の療育時代の話を少しさせていただきますね。

当時は、主に脳性麻痺や染色体異常による身体的発達遅滞(ゆっくりな発達)や医療的ケア(痰の吸引、経管栄養、酸素吸入など医療的処置が必要)などの重度心身障害児、整形外科的手術後に医師の指示のもと理学療法を行なっていました。

なんだか難しい言葉ばかりですね、、、、

理学療法士は国家資格なのはご存知ですか?

日本では、医療保険の適応になっている資格の一つなので、医師の指示が必要なのです。
なので、病院で行う理学療法は医療保険を使っての治療になります。

理学療法士として関わる中で、
研究発表や県内外への研修も頻繁に参加していました。

地域の保育園へ療育支援という形で訪問することがあり、
リハビリ室の中での治療が家庭や保育園、療育センター以外での福祉施設(児童デイとも言われるところ)でどのように活かされているのかを見てきました。

医療と福祉の役割。

家庭での家族とその子の関わりはどうなんだろう。

リハビリ室で自己満足だけの関わりになっていないか。

その子の育ちが人生にどう影響されるのだろう。

と漠然とした不安と疑問があったことを覚えています。

 

脳腫瘍が見つかる

そんな時にたまたま、交通事故で脳腫瘍が見つかりました。(急に話が飛んでびっくり‼︎笑)

自覚症状は全くなかったのですが、
脳腫瘍の場所が脳の機能局在でいう運動野と言われるところの近くだったんですね。

運動野は、今後、麻痺が起こるかもしれないという場所で、リスクもあり、外科的摘出術を受けることにしました。

手術して摘出しても麻痺が残るかもしれない。
ということもあり、もう一つの夢だった機織り職人になろうと思いましたが、金銭的に断念。

その時、子どもとの関わりの中で気になっていた福祉サービスでの児童発達支援事業所(以下、児発)との連携をどのようにしたらできるのか。

職場とも相談して、相談支援事業所の立ち上げがあるため、相談員として、術後、復職することにしました。

医療的知識があっても大きな手術だったので、廃用性の筋力低下で歩けなくなりました。
術後から理学療法も受けましたよ。
術後の後遺症も再発もなく、すっかり元気です‼︎

本当にたくさんのラッキーとたくさんの人のお陰様です。
この場でお礼したいです。本当にありがとうございました。

そんなこんなで、理学療法士から相談員へとなりました。笑

 

相談員の道へ

相談員になってからは、医療と福祉とのギャップ。
各市町村での体制の違い。
地域、保育園、幼稚園、小学校との連携の難しさ。
大切さを学ばせてもらいました。

リハビリ室での個別での関わりがこうも活かされていないのか。
と愕然とすることの方が多かったです。

また、親御さんから聞くだけではなく、
子どもの環境を実際に見て、
知ることはとても大切で、大事なことだと感じました。

医療的ケア児においては、病院から在宅生活。
そして在宅生活から地域へのハードルが高く、家族の負担もとても大きいことは、相談員になるきっかけにもなりました。

医療的ケアが必要。家族の介護負担軽減。子どもの育ち。発達支援。

学生の頃に思い描いていた、
「障がいのある子もない子も他の子と同じように地域で育つ社会」
というよりも、家庭でどう育てるの?
生命をかけて子育てしていかなくてはいけない。
理学療法士として関わる以上に相談員として、
この状況をどうにかしなきゃという思いが強くありました。

家庭に何度も訪問してお母さんの話をきいたり、主治医に会いにったり、療育センターのリハスタッフや訪問看護、訪問介護との連絡を頻繁にとり、保健師さん、行政とのやりとりもたくさんしてきました。

これを今までは親御さんが行なっていたと思うともう本当に大変‼︎
大変て言葉以上のものです。

平成27年度から障害者総合支援法が改正があり、福祉サービスを利用する際は相談支援専門員との相談支援の拡充と計画書が必要になってきました。(こちらも詳しくは、またの機会に)

とは言っても、小児を専門とする相談支援専門員は少なかったため、医療的な視点と医療との連携が求められました。

相談員をしていた頃は毎日走り回ってました。
足を運んで信頼してもらう。
一緒にやってもらえるチームを作っていく。

理学療法士としての個別での関わりはできないので、とにかく、周りに頼る‼︎

みんな、その子の子のことを考えてくれる。
そこをまとめて、一緒に頑張ってもらう。

一番は「子どもたちが安心して過ごせること。子どもたちが笑顔になれる場所を増やすこと。」

そして、「家族の支援。」

生きていくために医療的ケアが必要だったり、時々入院しちゃったり、その度に親の負担が増えて疲労困憊、子育てなんてできない、したくない、もう無理‼︎って投げ出したくなっても投げ出せない。

育ちが遅い、言葉が通じない、普通の子と違う。将来的な不安………

これって障がいのある子だけじゃないと思います。

でも、医療的ケア児を育てる親御さんは本当に想像できない程、大変な思いをしているんです。

だからこそ、その子だけでなく、家族も地域も含めた支援が必要なんだなーって思います。

子どもたちとその家族への強い思いと自分の未熟さを痛感して、泣いて、悩んで、学んで、工夫を凝らして、とにかく前に前にでした。

そしたら、疲れますよね。
相談員できなくなってしまいました。
たくさんの人に迷惑かけちゃいました。すみません。

 

現在の道に…

でも、やっぱり医療的ケアの必要な子たちが気になる。

ということで、その後は訪問看護ステーションでの訪問リハビリをとして入職することになりました。

リハビリ室から地域へ、地域に行く前にやっぱり家庭が大事。という感じです。
なぜ、家庭が大事と感じたのか、私の経験も踏まえまたの機会に~

なんだか、すごく長い長いプロフィールになってしまいましたが、ざっくりと私の自己紹介はこんな感じです。笑

私が今ここにいるのは、家族、友人、たくさんの人の出逢い、支援で関わって頂いた関係者の皆様。
そして、本当に可愛い、可愛い子どもたち、その家族があってこそです。

そして、こどもや。
立ち上げに声をかけてくれた山中夫妻のお陰様です。

たくさんの皆さんに、感謝の気持ちを込めて。

 

 

補足説明

このプロフィールでは”障がい児”という言葉を使用していますが、一般の方にわかりやすく説明する目的です。
とても繊細な部分ですので、言葉にするのは難しいのですが、
こどもや。では「障がい児」という言葉は使いません。
「Special needs Children。(特別な支援、丁寧な支援が必要とする子)」と表現していきますね。
でも、子どもはみんなSpecialですよね~

 

國場 なみな

 

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